「ギャンブルを認識することがキャピタルへの近道」
投資について説明するとき、「ギャンブル」という前提に立つかどうかで、随分と説明のしやすさが変わる。綺麗ごとで投資を語り始めると、話が佳境に入ってくるあたりから「矛盾」が生じ始めてくる。「投資イコール利益」の説明が難しいためだ。「ギャンブル」を前提に話を進めると、意外にも話は最後までスムーズに進んでしまう。なぜだろうか。
ディーリングというと、一般投資家には特殊な世界のようでもあるが、株式投資の経験者であれば本書に書かれている思考に賛同するところが多々ある。投資というのは、簡単に言うと利益という欲を満たすためにポジションを持つことでしかない。しかも、多くの場合が短期間で大きなリターンを目指す。株式投資を長く経験している人は多い。自らの投資判断にも自信を持っている。ところが実際には損失に失望をして投げ売ったり、目の前の小さな利益を早く手にしたくてガマンできずに売ってしまったりと、相場の教訓を生かせないで後悔することの連続が待っているのはなぜか。
「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし」という野球監督の野村克也氏の言葉が引用されるのも興味深い。相場にも勝負の世界がある。もちろん、自分はギャンブラーではないと公言して株式投資をしている投資家も多いが、持っているポジションの長い短いはあっても、ギャンブラーを自称する投資家と同じ土俵にいることに違いはない。
投資をするのはいたって簡単だ。どんな金融商品でも持っていればそれだけで投資をしたことになるからだ。しかし、投資で「どうやって利益をあげるのか」を追求すると、とたんに綺麗ごとでは説明が難しくなる。乱暴かもしれないが、キャピタルゲインを目指す以上、「ギャンブル」を肯定するところから投資を始めるほうが近道かもしれない。投資をすることと利益を生むことがイコールではないことは、本書を読むとよくわかる。
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