本書は、希代の相場師ジェシー・リバモアの一生を描いた『欲望と幻想の市場』(東洋経済新報社)の著者、エドウィン・ルフェーブルのデビュー作である。20世紀最初の年に刊行された本書は、のちの投資フィクション界に金字塔を打ち立てた『欲望と幻想の市場』の文学的素養を十二分に感じさせるものとして、今でも多くの人に読み継がれている。
本書は、19世紀末のウォール街を彩った実在の人物をもとにした8つの物語から成る短篇集である。当時の投資業界の習慣、仕手戦、インサイダー取引、株価操作など、何でもありだった時代の内情が、一流の金融ジャーナリストによる筆と、投資家としても成功していたルフェーブルの深い取材力によって見事によみがえっている。
本書に登場する架空の人物は、投資家兼取引所会長兼馬主のジェームズ・ロバート・キーン、銀行家兼ブローカーのエルバートン・R・チャップマン、投機家から絶大な支持を集めたニューヨーク州知事兼下院議員のロズウェル・ペティボーン・フラワー、鉄道会社や証券会社の役員を務めたあと鉄道株の仕手筋として活躍したダニエル・ドリューたちで、実際の本人に極めて近いポートレートになっている。彼らは皆、当時のウォール街では有名な大物相場師で、現代で言えば、投資に興味のない人でも知っているウォーレン・バフェットやジョージ・ソロスやカール・アイカーンやジェームズ・シモンズやジュリアン・ロバートソンたちのような投資家たちである。
本書を読み終えたとき、まもなく訪れる1920年代の熱狂とその後のバブル崩壊による大恐慌の萌芽が、20世紀初頭のウォール街にすでに存在していたことを、鋭い読者なら感じ取るだろう。
立ち読みコーナー
■山の頂上か破滅か
金髪でバラ色の頬と女の子のような青い目をした彼がトレイシー&ミドルトン・バンカーズ・アンド・ブローカーズの求人募集に応募したとき、まだ一七歳だった。彼の名前はウィリス・N・ヘイワード。二〇人の「応募者」から選ばれて電話係になったときは実に誇り高き少年だった。
午前一〇時から午後三時まで、彼は証券取引所のフロア(立会場)にあるトレイシー&ミドルトンの電話のそばに立ち、オフィスからの連絡―主に顧客のための株式の売買注文―を受け、同じ連絡を会社の「取引所会員」のミドルトン氏に伝え、ミドルトン氏の報告をオフィスに電話した。彼は柔らかくて繊細な声で話し、青い目をした彼がブースの同じ列にいる他社の電話係たちに無邪気に笑いかけるため、彼らはブースを路(アレー)地に見立て、昔から歌われていた「サリー・イン・アワー・アレー」から彼にサリーというあだ名をつけた。
興奮してあちこちへと急ぐ不安そうな人々、必死に振られる手、さまざまなポストの注文を執行するブローカーたちの叫び、そして彼らが売買した株の価格を書き留めるときに突然正気に戻る様子―これらすべてが、寄宿学校を出てから数カ月しかたっていない若きヘイワードにとっては鮮烈な出来事の連続だった。彼らがどのように仕事をしているのかを理解できなくても、驚きはなかった。しかし、彼がもっとも強い印象を受けたのは、この騒いだり身振りを交えたりしているブローカーたちが実際に大金を稼ぐということを同僚たちが教えてくれたことだった。彼は、「サム」・シャープがサブアーバン・トローリーで一〇万ドル儲けたことや、「パーソン」・ブラックがウエスタン・デラウェアで一〇〇万ドルを当てたという有名な話を聞いた―裏づけとして、背の低い白髪の男のことも教えてくれた。しかしそのあと、彼はアラジンと魔法のランプやジャックと豆の木のことも聞いた。
ウォール街で働く多くの少年がそうであるように、彼も真綿が水を吸い込むように仕事を覚えた。彼が質問をすればすぐに答えが返ってきたが、だれも彼への助言として進んで情報を与えようとはせず、彼は自分を守るためによく観察し、ほかの人々がどのようにしているかを見て、その結果に気づくようにしなければならなかった。彼が耳にするのは、さまざまな形の「張れ! 張れ!」という声、つまり同じ意味を持つたくさんの言葉だった。それはすべて株の買いか売り―あっという間に大金を稼ぐことができるという、強い明確な望み―だった。
取引所では、だれも儲けの話しかしなかった。親しい友人たちは始業時に会っても「おはよう」とも何も言わず、前置きもなしにこの世で唯一のテーマ(投機)に取り掛かった。そしてそのうちの一人が遅れてやって来ると必ず、「相場はどうだ?」とすぐ尋ねた。彼のいなかった間に不正が行われたのを恐れているかのように、しきりに心配して尋ねるのだった。株の買いや売りを促す数えきれないほどの「耳寄り情報」のせいで、ほとんど呼吸ができないほどだった。ブローカーも顧客も職員も取引所の門衛も、ウォール街の人々はみんな、ニュースを確かめるためではなく、株価に影響を与えそうな、もしくは影響を与えるはずの、あるいは影響を与えるかもしれない情報を探すために朝刊を読んでいた。神の代わりにティッカーテープが存在し、ブローカーがその予言者だった。(続きを読む)
(ウィザードブックシリーズ311)
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