おのぼりさんの一行が、ニューヨークの金融街を見学させてもらっていた。
一行がウォール街にほど近いバッテリーパークへやって来ると、ガイドのひとりが停泊中のすばらしいヨットの数々を指さして言った。
「ごらんください。あそこに並ぶヨットは、みな銀行家やブローカーのものですよ」
気のきかない田舎者がこう聞いた。
「お客のヨットはどこに?」
このジョークは、投資の世界ではリターンが不確実であるのに対して、コストが確実にあることを的確に象徴したものだ。そして、著者シュエッドが本書で明らかにした金融業界の本質は、今も昔も変わらない。
一九五五年ブルマーケット版への序文 16
第一章 序文――「二流詩人の遠慮がちな咳払い」 31
相場予測の有効性について……40
予言業はやめられない……48
ブルが吹っ飛んだとき……52
第二章 金融家と占い師 55
大手銀行家――なれるものならいい商売……57
大物に次ぐ者たち……61
思考の花に実る果実……69
ウォール街の意味論……71
チャート分析家……73
報酬……78
お金を「稼ぐ」ことの難しさ……80
ミューズが宿らない芸術……84
ちょっとした適性テスト……86
第三章 顧客たち―このたくましい種族 91
顧客あれこれ……93
顧客獲得法……95
委託保証金……98
ダムが決壊したときにすべきこと……102
病例研究と診断結果……106
職業として金をこねくり回す……110
第四章 投資信託会社―期待と成績 115
自分自身のミスをなくせ……119
どこに罠がひそんでいるか?……121
舗装された地獄への道……127
「優良」証券の問題点……129
七五万ドルの鳥……133
謝罪がわりに……135
魔法のような投資信託会社……137
第五章 空売り屋―腹黒いやつら 139
被告側弁護人の陳述……144
別の角度からの弁護……146
ベアがいるとき、いないとき……150
売り崩し……156
第六章 プットにコールにストラドル、そしてガーガー 161
オプションとは何か(おおよそのところ)……164
純然たるギャンブルを弁護する……169
落とし穴……172
第七章 古き「よき」時代と「偉大なる」指導者たち 177
大物たちのIQ……180
投機についての討議……185
ちょっとだけ脱線して確率論を……189
揺りかごごと赤ちゃん落ちる……192
「彼ら」……194
相場操縦者たち……196
ボウル一杯の五セント硬貨……199
第八章 投資――多数の質問と少々の回答 201
金持ちの悩み……204
ちょっとしたすてきなアドバイス……210
価格対価値――われらが特選マーケットレター……213
長期投資対象としての現金……217
人の生きる道とベーシスブック……219
第九章 改革―その数年と異論 223
盗まれたのか、なくしたのか?……226
嫌われ者のスペシャリスト……230
規制の届くところ、届かないところ……234
締まらない締めくくり……241
著者について 244
いかがだろうか。
このジョークは、多くのスピーチや書籍で引用されている。私がこのジョークを初めて聞いたのは、おそらく一〇年ほど前、外資系投資顧問の社長をしていたころだった。アメリカで講演会に出席したとき、スピーチのなかで引用されていたと記憶している。その後、何度もこの話を聞いた。また、本で引用されているのを何度も読んだ。
それほど、この話が有名になったのは、まさに本書によるところが大きい。
本書が書かれたのは一九四〇年だ。著者フレッド・シュエッド・ジュニアが、ユーモラスに、そして独特のシニシズムをもって描いているのは、三〇年代のウォール街を取り巻く人々の姿である。 三〇年代のウォール街は、二九年の大暴落を経て、幾多の改革が進行していた。法改正、監視機関の設置、証券分析手法の進化などである。本書に描かれているのは、そこにうずまく欲望と恐怖に翻弄される、数知れぬ投資家と業者の人間ドラマだ。
著者は、人々のあがきの姿から、証券市場が抱える構造的真実に迫っている。 あらゆる証券リターンの源泉は、企業が生み出す付加価値に帰する。ところが、投資家がそのリターンをそのまま受け取るわけではない。投資家が得るリターンは、その付加価値から業者が受け取る金額を差し引いたものである。しかも、その業者が介在することで証券のリターンが高まるとはかぎらない。 今日の証券市場は、少なくとも表面的には、当時とは比較にならないほど整備されている。しかし、その底流に流れる本書のメッセージは、単に「昔話」ではすまない真実がある。
ヨットの逸話は、リターンは予測不能だが、コストは確実にかかるものであること、そして、そのコストは業者の手元に残り、それが彼らの富の源泉になっていることを読者に気づかせてくれる。
インデックス投信の創始者、ジョン・ボーグルも『波瀾の時代の幸福論』(武田ランダムハウスジャパン)のなかで「金融市場から生まれるグロス(名目)リターンから金融システムにかかるコストを差し引いたものが、投資家が実際に得るネット(実質)リターンに等しい」と述べた。 つまり「投資家は、投資という巨額のコストがかかる食物連鎖の底辺に置かれて、食い物にされる」と同様のことを指摘しているわけだ。個人投資家に適切な指針を与えるという意味で言えば、本書はかの名著『ウォール街のランダム・ウォーカー』(バートン・マルキール著、日本経済新聞出版社)の先駆的な存在であるということもできよう。
私自身が本書に出合ったのは、二〇〇五年に個人投資家向けの投資教育会社を創業したころ、出張先のサンフランシスコの本屋だった。すでにこの小話は幾度となく耳にしていたので「やっと見つけた」という思いで、気持ちが高揚したのを覚えている。 私は常々、日本の個人が投資をするときの最大の問題点は「“販売会社の影響力”が、運用会社に対しても、そして投資家に対しても大きすぎることにある」と思っていた。まさに、この本に書かれているようなことである。 以来、セミナーでは何回もこの話をさせてもらっている。
今日、我々を取り巻く社会・経済環境は変わってしまった。もはや、自分の将来を国任せ、会社任せにしてはいられない。「将来の自分はいまの自分が支える」ほかないのが現実である。
将来の生活リスクを回避するためには、長い時間をかけて、資産を適切に運用していく必要がある。そのときに重要なのが、誰かに勧められたものを買うのではなく「自分が最高責任者となって、司令塔になる」という姿勢だ。 本書が主張しているのも、業者任せではなく「自分で判断する」ということである。いくら業者に推奨されようが、結局、その成果は投資家自身に降りかかるのだ。
自分の将来を守るための投資に、深い専門知識はいらない。投資に関する「きほんのき」のみで十分だ。 ただし、同時に、証券市場と業界の構造に潜む真実を理解することが必須である。 ウィリアム・バーンスタインの名著『投資「4つの黄金則」』(ソフトバンククリエイティブ)でも、投資で成功するために学ぶべき分野として、理論、歴史、心理に加えて、業界構造の理解を挙げている。 これは、ともすれば従来、無視されてきた分野である。だが本書は、その気づきを与えてくれる格好のテキストだ。
七〇年の時を経て、この名著が日本語に訳されることは意義深い。そして、いま、私は二つの感慨を覚えている。 ひとつは、この本が日本に上陸するまでに七〇年もの時を要したということである。なにやら、ようやく黒船が到着したような気さえする。 もうひとつは、米国を中心とした業界構図への感慨である。もちろん、これまで幾多の改革があったのを否定するつもりはない。だが、七〇年を経てもなお、相変わらず「懲りない面々」が跋扈しているように思えるのは、私だけではあるまい。
いま、長期低迷相場に悩まされる日本で、この本の翻訳を出すという企画を取り上げた出版社の見識に敬意を表したい。また、丁寧に翻訳された関岡孝平氏に心から感謝したい。この本の指摘することこそ、日本の株式市場が輝きを取り戻すためのもっとも抜本的な条件であろう。
本当の市場復活は、個人投資家の自立から始まると私は思う。 読者のみなさまには「お客のヨットはどこにある?」という短いフレーズに、何度も思索をめぐらしていただきたい。資産運用を行ううえで貴重な、実践的な知識を得られること請け合いである。 この本が、日本でも長く、多くの人に読まれ、証券市場の真実に気づき、自らが「投資の司令塔」になることの大切さを実感していただけることを期待してやまない。
二〇一〇年一一月 岡本 和久
中高校の授業にマネー教室講師として招かれる傍ら、幼少期からの金銭教育が盛んな米国発祥のマネー教育玩具「ハッピー・マネーのピギーちゃん」を日本に紹介する活動を行っている。
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