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あらすじ
貧しい男が罠にかかったタヌキを見つけるが、不憫に想い開放してやる。その夜タヌキは男の家に現れると、助けてもらったお礼として、茶釜に化けて自身を売ってお金に換えるように申し出る。次の日、男は坊主に茶釜を売った。坊主は家に持ち帰って茶釜を水で満たし火に懸けたところ、タヌキは熱さに耐え切れずに半分元の姿に戻ってしまった。タヌキはそのままの姿で元の男の家に逃げ帰った。次にタヌキは、綱渡りをする茶釜で見世物小屋を開くことを提案する。この考えは成功して、男は豊かになり、タヌキも寂しい思いをしなくて済むようになった。という、恩返しの話である。
また、一説にはタヌキが守鶴という僧に化けて寺を守り、汲んでも尽きない茶を沸かしたとされている。普通、物怪(もののけ)は鉄を嫌うが、このタヌキはその鉄の茶釜に化けており、金の精霊たる所以を表している。
あらすじ
子供のない老夫婦が子供を恵んでくださるよう住吉の神に祈ると、老婆に子供ができた。しかし、産まれた子供は身長が一寸(現代のメートル法で3cm)しかなく、何年たっても大きくなることはなかった。子供は一寸法師と名づけられた。
ある日、一寸法師は武士になるために京へ行きたいと言い、御椀を船に、箸を櫂にし、針を刀の代わりに持って旅に出た。京で大きな立派な家を見つけ、そこで働かせてもらうことにした。その家の娘と宮参りの旅をしている時、鬼が娘をさらいに来た。一寸法師が娘を守ろうとすると、鬼は一寸法師を飲み込んだ。一寸法師は鬼の腹の中を針で刺すと、鬼は痛いから止めてくれと降参し、一寸法師を吹き出すと、持っていた打出の小槌を置いて山へ逃げてしまった。
一寸法師は打出の小槌を振って自分の体を大きくし、娘と結婚した。ご飯と、金銀財宝も打ち出して、末代まで栄えたという。
ある所にお母さん山羊と7匹の子山羊が暮らしていた。ある日、お母さん山羊は街へ出かけることになり、子山羊たちに「誰が来ても、決してドアを開けてはいけませんよ」と注意して家を出た。
そこへ狼がやって来るが、狼のがらがら声で「お母さんですよ」と言っても子山羊たちにはすぐに見破られてしまった。そこで狼は店でチョークを買い、それを頬張って声を変え再び子山羊たちの家へ[1]。「お母さんですよ」と言うと、子山羊はドアの隙間から足を見せて欲しいと言うが、狼の足は真っ黒だったのでまたも見破られてしまう。
狼は次にパン屋で足を怪我したと言いながら小麦粉を足に塗りたくって真っ白にし、三たび子山羊たちの家へ。ドアの隙間から白い足を見た子山羊たちは大喜びでドアを開けるが、間一髪で柱時計の中に身を潜めた末っ子の山羊を除いて狼に丸呑みされてしまう。
子山羊を6匹も丸呑みにして腹一杯になった狼はそのまま眠りこけてしまう。そこへお母さん山羊が帰って来るが、末っ子から事の顛末を聞いたお母さん山羊は慌てずに眠りこけている狼の腹を鋏で切り裂いて子山羊たちを助け出す。そして、子山羊たちは狼の腹に石を詰め込んでお母さん山羊が縫い合わせた。
狼が目を覚ますとやけに腹が重くなり、上手く歩けなくなっていた。喉が渇いた狼は井戸で水を飲もうとするが、腹に詰め込まれた石の重さで井戸の底へ転落してしまう。
あらすじ
むかし日本の国に、はじめて仏さまのお教えが、外国から伝わって来た時分のお話でございます。
第三十一代の天子さまを用明天皇と申し上げました。この天皇がまだ皇太子でおいでになった時分、お妃の穴太部の真人の皇女という方が、ある晩御覧になったお夢に、体じゅうからきらきら金色の光を放って、なんともいえない貴い様子をした坊さんが現れて、お妃に向かい、
「わたしは人間の苦しみを救って、この世の中を善くしてやりたいと思って、はるばる西の方からやって来た者です。しばらくの間あなたのおなかを借りたいと思う。」
といいました。
お妃はびっくりなすって、
「そういう貴いお方が、どうしてわたくしのむさくるしいおなかの中などへお入りになれましょう。」
とおっしゃいますと、その坊さんは、
「いや、けっしてその気づかいには及ばない。」
と言うが早いか踊り上がって、お妃の思わず開けた口の中へぽんと跳び込んでしまったと思うとお夢はさめました。
目がさめて後お妃は、喉の中に何か固くしこるような、玉でもくくんでいるような、妙なお気持ちでしたが、やがてお身重におなりになりました。
さて翌年の正月元日の朝、お妃はいつものように御殿の中を歩きながら、お厩の戸口までいらっしゃいますと、にわかにお産気がついて、そこへ安々と美しい男の御子をお生みおとしになりました。召使いの女官たちは大さわぎをして、赤さんの皇子を抱いて御産屋へお連れしますと、御殿の中は急に金色の光でかっと明るくなりました。そして皇子のお体からは、それはそれは不思議なかんばしい香りがぷんぷん立ちました。
お厩の戸の前でお生まれになったというので、皇子のお名を厩戸皇子と申(もう)し上げました。後に皇太子にお立ちになって、聖徳太子と申し上げるのはこの皇子のことでございます。
(本文より抜粋)
あらすじ
まちそとの森(もり)に、いっぽん、とてもかわいらしい、もみの木がありました。そのもみの木は、いいところにはえていて、日あたりはよく、風とおしも十分(じゅうぶん)で、ちかくには、おなかまの大きなもみの木や、はりもみの木が、ぐるりを、とりまいていました。でもこの小さなもみの木は、ただもう大きくなりたいと、そればっかりねがっていました。ですから森のなかであたたかいお日さまの光のあたっていることや、すずしい風の吹くことなどは、なんともおもっていませんでした。また黒いちごや、オランダいちごをつみにきて、そこいらじゅうおもしろそうにかけまわって、べちゃくちゃおしゃべりしている百姓のこどもたちも、気にかからないようでした。こどもたちは、つぼいっぱい、いちごにしてしまうと、そのあとのいちごは、わらでつないで、ほっとして、小さいもみの木のそばに、腰(こし)をおろしました。そして
「やあ、ずいぶんかわいいもみの木だなあ。」
と、いいいいしました。けれど、そんなことをいわれるのが、このもみの木は、いやで、いやで、なりませんでした。
つぎの年、もみの木は新芽(しんめ)ひとつだけはっきりのび、そのつぎの年には、つづいてまた芽ひとつだけ大きくなりました。そんなふうで、もみの木の歳(とし)は、まいねんふえてゆく節(ふし)のかずを、かぞえて見ればわかりました。
小さいもみの木は、ためいきをついて、こういいました。
「わたしも、ほかの木のように大きかったら、さぞいいだろうなあ。そうすれば、枝(えだ)をうんとのばして、たかい梢(こずえ)の上から、ひろい世のなかを、見わたすんだけど。そうなれば、鳥はわたしの枝に巣(す)をかけるだろうし、風がふけば、ほかの木のように、わたしも、おうように、こっくりこっくりしてみせてやるのだがなあ。」
こんなふうでしたから、もみの木は、お日さまの光を見ても、とぶ鳥を見ても、それから、あさゆう、頭(あたま)の上をすうすうながれていく、ばらいろの雲を見ても、ちっともうれしくありませんでした。
やがて冬になりました。ほうぼう雪が白くつもって、きらきらかがやきました。するとどこからか一ぴきの野うさぎが、まい日のように来て、もみの木のあたまをとびこえとびこえしてあそびました。――ああ、じつにいやだったらありません。――でも、それからのち、ふた冬とおりこすと、もみの木はかなり、せいが高くなりましたから、うさぎはもうただ、そのまわりを、ぴょんぴょん、はねまわっているだけでした。
「ああうれしい。だんだんそだっていって、今に大きな年をとった木になるんだ。世のなかにこんなにすばらしいことはない。」
もみの木は、こんなことを考(かんが)えていました。
秋になると、いつも木こりがやって来て、いちばん大きい木を二、三本きりだします。これは、まい年のおきまりでした。そのときは、見あげるほど高い木が、どしんという大きな音をたてて、地面(じめん)の上にたおされました。そして枝をきりおとされ、太(ふと)いみきのかわをはがれ、まるはだかの、ほそっこいものにされて、とうとう、木だかなんだかわけのわからないものになると、この若いもみの木は、それをみてこわがってふるえました。けれども、それが荷車(にぐるま)につまれて、馬にひかれて、森を出ていくとき、もみの木はこうひとりごとをいって、ふしぎがっていました。
みんな、どこへいくんだろう。いったいどうなるんだろう。
春になって、つばめと、こうのとりがとんで来たとき、もみの木はさっそくそのわけをたずねました。
「ねえ、ほんとにどこへつれて行かれたんでしょうね。あなたがた。とちゅうでおあいになりませんでしたか。」
つばめはなんにもしりませんでした。けれどもこうのとりは、しきりとかんがえていました。そしてながいくびを、がってん、がってんさせながら、こういいました。
「そうさね、わたしはしっているとおもうよ。それはね、エジプトからとんでくるとちゅう、あたらしい船(ふね)にたくさん、わたしは出あったのだが、どの船にもみんな、りっぱなほばしらが立っていた。わたしはきっと、このほばしらが、おまえさんのいうもみの木だとおもうのだよ。だって、それにはもみの木のにおいがしていたもの。そこで、なんべんでも、わたしはおことづけをいいます。大きくなるんだ、大きくなるんだってね。」
「まあ、わたしも、遠い海をこえていけるくらいな、大きい木だったら、さぞいいだろうなあ。けれどこうのとりさん、いったい海ってどんなもの。それはどんなふうに見えるでしょう。」
「そうさな、ちょっとひとくちには、とてもいえないよ。」
こうのとりはこういったまま、どこかへとんでいってしまいました。そのとき、空の上でお日さまの光が、しんせつにこういってくれました。
「わかいあいだが、なによりもいいのだよ。ずんずんのびて、そだっていくわかいときほど、たのしいことはないのだよ。」
(本文より抜粋)
母親と二人、貧しい生活を送っていたジャックは、ある日母に頼まれ唯一の生活の糧であった牝牛を市場に売りに行きました。ところが道中、通りがかりの男に騙されて、男の持っていた豆と牝牛を交換してしまいます。
家に帰ると、母親はそれを聞いて大変怒り、ジャックに豆を庭に捨てるよう言いました。翌朝起きてみると、なんと昨日捨てた豆がたった一晩で巨木へと成長しているではありませんか。ジャックがその巨木を登ってみると、そこには巨人の住む城がありました。
著者について
楠山 正雄(くすやま まさお)
東京銀座生まれ。家は印刷業を営んでいたが、父が急逝し、また母の再婚がうまく行かず、家業は没落してしまう。そのため親戚を転々とし、多難な少年時代を送った。だが芝居好きの祖母や、学問熱心な伯父、また早稲田大学時代に師事した坪内逍遙や島村抱月など、周囲の人に恵まれ、彼の基礎がはぐくまれていった。大学卒業後の1907(明治40)年早稲田文学社に入り、編集者としてのキャリアを始める。そして読売新聞社を経て、1910(明治43)年冨山房に入社、そこで「新日本」の編集主任として励むかたわら、一方で逍遙の「文芸協会」に参加し、評論あるいは翻訳劇脚本家として活躍する。文芸協会解散後も抱月の芸術座に続いて参加し、しばらく編集者と演劇人の二足のわらじを履いていたが、1915(大正4)年冨山房社長の命を受け、「模範家庭文庫」の担当となる。親交のあった岡本帰一にヴィジュアル面を託し、他人の原稿を編集するうち、児童文芸への意識が高まっていく。やがて自らも文庫の執筆に手を出し、また児童向けの創作や翻訳も意欲的に行った。ちょうどその頃、抱月の死によって芸術座は崩壊し、その騒動に巻き込まれ、事態の収拾に奔走するうち、しぜん演劇界から足が遠のいていったこともそれに拍車をかけることになったのだろう。語ること・魅せること・まとめることを意識した正雄の仕事は一種の創造的編集ともいえ、この時期に成した「世界童話宝玉集」(1919:大正8)、「日本童話宝玉集」(1921:大正10)の完成度は群を抜いている。これらは当時、これまでの「お伽噺」という定義によらず、「童話」を日本で初めて集成したものと広告された。また「世界―」に所収されたメーテルリンクの戯曲「青い鳥」の出来もよく、出版翌年にはこの台本で上演されている。しかし芸術座騒動と増える一方の仕事に、精神的にも疲弊したためか、1922(大正11)年すべてから身を引き、趣味の藤原文芸研究に打ち込むため、京都に移住する。だが翌年に起こった関東大震災がふたたび彼を呼び戻すことになる。新たな一大事典の制作を考えた冨山房社長の要請を受け、正雄は東京へ戻り、1924(大正13)年「日本家庭大百科字彙」責任者につく。そして児童文芸の世界にも再度力をそそいだ。「世界―」以来興味を持っていたアンデルセン童話を独英米の底本から訳し、初めて童話集として出版したのも同年である。またこの頃の創造的編集の粋として、1925(大正14)年から翌年にかけて出版された現代絵本のさきがけとなる「画とお話の本」シリーズも見逃せない。「字彙」は1931(昭和6)年に完結したが、休む暇なく「国民百科大辞典」の出版が企画され、当時としては最大級であったこの大事業を正雄は見事完遂する。1937(昭和12)年には長く離れていた演劇の世界に戻って批評活動に励み、また冨山房でも冨山房百科文庫の企画が始まる。1938(昭和13)年には本人監修の独語底本から再度アンデルセン童話の翻訳に挑戦し、まったくの新訳を出版する。だが日本は次第に戦渦に巻き込まれていき、正雄が携わっていた様々の事業も中絶する。この時期に翻訳した反戦児童文学「デブと針金」は彼の心境を反映しているものである。1945(昭和20)年の終戦後は、様々な文化が復興の力に湧き、正雄も演劇界・児童文芸界双方に尽力する。そしてこれまでの人生のまとめとして、世界の児童文学を比較文化的な視点から体系的にまとめようとする「世界おとぎ文庫」の編集執筆を始め、またライフワークであったアンデルセン童話もデンマーク原語から三度文章を改め翻訳を試みた。だが正雄の身体は病魔にむしばまれ、1950(昭和25)年転居先の長男宅でガンのため永眠、両計画の筆は中途にして折られることとなった。演劇・辞典編集・児童文芸のみっつの分野においてその創造的編集の才を尽くし、多くの基礎を作った先駆者であった。そのほかの著訳編に「近代劇選集」「近代劇十二講」「ファウスト」「楠山正雄歌舞伎評論」(以上、演劇)「家なき子」「ふしぎの国のアリス」「イソップ物語」(以上、翻訳)「苺の国」「二人の少年と琴」(以上、創作)などがあり、「日本童話宝玉集」にある日本昔話は以後何度も再刊・再録された。
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